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家族時間の宿体験レポート

見知らぬ同士。ぎこちなさも、さりげない会話で溶けていく。

 広間にはずらりと刺身に揚物、海の幸が盛りだくさんの夕食が並んでいた。さらにそれに加えて鯛の塩釜焼が隣の父子のもとへ運ばれる。そして私たちにも赤飯が。隣のおすそ分けだと。聞けばこの旅は父親の退職祝いだとか。
ビールをお返しに注ぎ、差しつ差されつ、いつの間にか話が弾んでいた。
 食事が終わり、片づけを手伝っていた息子が厨房から戻る途中に言った。
「お父さん、僕たち出発が早いから朝ご飯はおにぎりにしてくれるらしいよ」
 朝が早ければ融通をきかせてくれる。そんなところも民宿のよさだ。手が足りなさそうだったら、夕食の片づけも手伝う。そのあたりは親戚の家に遊びに行ったときのようにふるまいたい。
 食器を戻しながら、先付のゆで落花生と鮮度のいい魚の味をほめると女将は満面の笑みになり、収穫期の落花生をぜひ見せたいと言ってくれた。
 会話が弾んだ勢いというのだろうか、いつしか自慢の菜園見学と、獲れたての魚が見られる早朝の漁港見学へと話がまとまっていた。


泊まる。ただそれだけで、日常を離れた懐かしき時が流れる。

 女将のアドバイスに従って、翌朝七時に宿を出て、近くの漁港へ向かった。
 かもめが漁船を先導して入港してきた。大きなクレーンで魚を降ろす姿は壮観だ。揚がる魚の活きのよさに見とれたが、漁港の人々の動きは無駄がなくてほれぼれする。活気あふれる光景に、こちらも気分が高揚してくる。
 周辺に広がる港町の風情もよかった。分け前をのんびり待つ猫。ゆるやかな坂道。海を見下ろす高台にある神社、人々の暮らしがすぐそこにある。
 戻って朝食をいただくと、アジの干物が出た。見慣れたアジが妙に愛おしく思えてくる。食事後は、元気な女将のあとについて菜園へ向かう。

 落花生の葉はエンドウ豆のような丸みを帯びた愛らしいものだった。それを引き抜くと、土の中からおなじみの落花生がついてくる。不可思議な光景に年甲斐もなく歓声を上げてしまった。
 ふと見上げると空が近い。吹き抜ける風、降り注ぐ光、ふかふかの土のぬくもり。おだやかな土地が育んだ人々の心が自分の中にも染み入ってくる。
 昨日よりももっと多く、南房総のことを知ることができた気がした。
 人と人との距離が近い民宿は、いい。一期一会の出会いでも、その人なりの真心が伝わる応対は、旅慣れしてしまっているからこそ心に響く。それはお金でなど換算できない。そういった忘れ難い思い出は、長く強く輝き続ける。
 豊かな自然が育む人々のぬくもりに、また魅了されてしまった。きっとそれが南房総に何度も足を運んでしまう一番の理由なのだ。